桂 文朝 師匠編

 


 

 うまい噺家といえよう。オーソドックスなスタイルで地味な芸風という

 べきか。 

 子供の頃から高座にあがっていた芸歴をもっている。師匠の「初天神」

 「文違い」「お見立て」などは好きな噺の一つである。

 私の世代では「志ん生」「文楽」の全盛期には間に合っていない。

 「円生」「正蔵」は老年期におり芸が枯れてきた時代にいた。

 そのかわり、「談志」「志ん朝」、「円楽」、「枝雀」、「米朝」、

 「文枝」、「柳朝」。「小三治」、「小朝」、「馬生」、そして「文朝」・・・

 という時代には間に合っている。時を越えられない以上、間に合う/

 間に合わないはせんないこと。

 しかし全くの別格は「米朝」師匠である。現代の噺家の中で群を抜く

 存在である。この師匠に出会えたことは私の世代の宝である。

 「文楽・志ん生」に間に合わなかった私が、「私の時代にもこんな名人

 がいた。文楽・志ん生に優るとも劣らない噺家に出会えた」といえる

 噺家こそが「米朝師匠」なのだ。皆さんはどのように評価をされている

 のだろうか。「米朝師匠編」を作成しようと思うが余りにも偉大な

 功績に対し私にはとうてい手に負えそうにもない。万分の一かもしれ

 ないけど何とかお伝えしたいとは思う。

 「米朝師匠をおいかけて欲しい」これが私からのメッセージです。

 談志師匠はさすがにすごい。米朝師匠の真髄を見抜いておられる。

 「談志・米朝二人会」などをやっている。「さすがです。談志師匠」

 (でもこの二人会を談志師匠がすっぽかしたことがあるとのこと。

  談志師匠もえらいことをしたもので、負けを認めたということなの

  だろうか。)

 

 その時代に生きる噺家を見据えて自分も生きていこうと思う。

 

 でも間に合わなかった噺家はメディアを通じて見聞きするしかない。

 だからライブラリーに保持している。でもただそれだけのこと。

 三代目金馬師匠に合いたいし可楽師匠にも会いたい。

 三十代の文楽師匠にも会いたい。志ん生師匠と飲みたいと思う。

 でも無理な話でして・・・(*_*)

 今の時代を追いかけるしかない、とあきらめる。でも、しかし、だけど、

 

 文朝師匠も現代の噺家としてずっと追いかけていく

 

 師匠の芸が枯れるまで追いかけられる年代に私はいる。

  歌丸師匠は芸が枯れてきた。良い時期に達している。だから見ていく。

 扇橋師匠のファンが大勢おられることを、一連のHPを通じて

 電子メールで伺った。うれしい限りである。さぞかし文朝師匠のファン

 も多かれと察せられる。高座で聞いてこその芸。メディアではその

 真価が伝えにくい芸。どんなにグルメと言われた人間でも自分だけの

 時間には「お茶漬け」を食べたくなる、それが日本人。

 メディアで華々しく活躍する噺家もいいが、オーソドックスな噺も

 聞きたくなるのが我々であろう。

 

 まずは文朝師匠の開演である。

 

 

桂 文朝

鼠穴

桂 文朝

品川心中

桂 文朝

お見立て

桂 文朝

明烏

桂 文朝

木乃伊取り

桂 文朝

掛け取り

桂 文朝

寝床

桂 文朝

紙入れ

桂 文朝

初天神

桂 文朝

文違い

桂 文朝

悋気の独楽

桂 文朝

三方一両損

 

「お見立て」・・・・・・・・という噺

 

 お馴染みの吉原を舞台とした噺である。花魁に通い詰めているのが普通は

 江戸っ子がでてくるのだが、この噺は「田舎者」の客である。

 純粋・木訥な男が花魁の亭主きどりで、大いなる誤解の境地ときている。

 でもそれはそれで幸せなことなのだろうけど・・・・\(^o^)/

 花魁の方はてえと、金蔓としては利用しようとおもっているけど、心は他の男

 にあるという始末。でも亭主気取りの田舎者にはわかっっていない。

 ここがこの噺の背景となっている。

 通い詰めていても邪見にされ、部屋には花魁が来ない。いわゆる「廻し」を

 とっているとうやつで・・・

 なかなか来ない花魁にとうとう、我慢できなくなった男、若い者に声をかけて

 催促をする。事情を知っている若い者はなんとか取り繕うとするが、いつまでも

 ごまかすわけにはいかない。言い訳に困った若い者がこう切り出す。

 「実は花魁は急な病で亡くなりやした。日頃からお世話になっている旦那様には

  一番にお知らせしなくちゃならないんですが、花魁の遺言で、あの旦那様には

  れっきとした奥様がいらっしゃるのだから、わちきのようなものがいるのを

  知らせてはなりんせん。ということで・・・・・」

 実はこの言い訳も花魁の入れ知恵だったわけで。それを真に受けた男は、

 それは大変てんで、早速墓参りに行こうと若い者に案内を頼む。困ったのは

 若い者、そんな墓などあるはずもないが、仕方なく谷中の墓地に連れていく。

 適当な墓を指さして、「旦那。これが花魁の墓です。」「そうか、かわいそうな

 やつだ。わあーー」と泣きながら上を見上げると、子供の墓なので驚き、

 「馬鹿野郎。花魁の墓じゃねえや。間違えるなこの野郎」あわてた若い者は

 次の墓を物色すると「これですこれです。間違いありません」「そうかそうか」

 と「南無阿弥陀仏」と唱えて、上を見ると「故陸軍上等兵・・・」

 「馬鹿野郎また間違えやがって。本当にどこにあるんだ!」

 とうとう若い者、困り果てて・・「へいお好きな墓をお見立てを」・・がオチ。

 「お見立て」というのは遊廓にきた客が店に出ている花魁を選ぶことをいう。

 花魁ならむ、ずらっと並んだ墓を見立てて欲しいとは・・・(.^!^.)

 

 まあ花魁が書く文の筆にはタヌキの毛が混じるといわれ、客とのだましあいは

 噺のネタになっている。文朝師匠の「文違い」も同様である。

 

 


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