五代目 三遊亭 円楽 師匠編

2009年10月29日 76歳で肺がんのため逝去されました。円楽師匠は腎不全のtめ長く人工透析を
されていてそれだけでも大変ですが、その後胃癌を患い手術、肺がんも発見されて初期のために
手術をして完治されたと聞いていたのですが、入院中に脳梗塞を併発されて最後は肺がんのため
苦痛もなく亡くなられたと聞いています。「笑点」の出演でお馴染みになりました。司会としては20年
やられました。「笑点」は立川談志が「氷点」という小説をパロって、造った言葉ですが、「11PM」時代
から始まったものです。司会には立川談志、前田武彦、三波伸介・・・などをへて現在は桂 歌丸が
やっております。円楽師匠もメンバーで、亡くなられた小円遊師匠もいたし、林家こん平師匠は病気療養中ではありますが今は、たい平さんですね。春風亭昇太師匠も入っています。
寺にうまれたのですが、確か花川戸の「助六寺¥」という名前だったでしょうか?
そのせいか二つ目時代は「全生」を名乗っていまして談志師匠のライバルとして目されていて、立川談志も意識していたようです。「全生、小えん」という若手の息吹を感じる時代でした。
談志師匠も病床にあります。糖尿病の悪化と聞いていますが容態が心配です。
円楽師匠は「人情話」の名人でした。最後の高座も「芝浜」でした。ロレツが回らなくなっての引退でしたが
五代目 古今亭志ん生師匠も三越劇場で高座復帰してからはロレツがおかしかったですよ。それでも
続けられた。元気だったからでしょう。円楽師匠の場合は癌があの世に連れて行ってしまったわけです。
自ら寄席「若竹」を作った快挙は絶賛に値する。噺家が自らの場を自らの資金で作ってしまうことの
意味を問われているのである。
問われている相手は高座に相対する者、即ち私自身であると思う。
観客に対する強烈な批判ではないだろうか。「話芸を聴く者」には「話芸を理解するだけの見識」が
なければならない。
よく談志師匠が「俺の芸を茶の間でテレビの前で寝てみられたんじゃたまらないよ」という
コメントを述べている。「落語」という「芸」を命を賭けて取り組んでいる噺家達、
それが庶民の生活・本音と奇妙に 迎合していた江戸の(今ではバーチャルになった)
世界の落語・噺、 なのに今という時代とはズレを感じる噺家達のアセリ。
それでも「今を語れる」噺家になることを目指す両師匠です。
庶民の本音・今に根ざしたものを語ろうとする「落語・噺」。
それを受けるべき「観客・聴衆」は全く理解できていないことに対する怒りこそが、
寄席「若竹」にあった。
「失われし世界=バーチャルな世界」に対する見識というのか、 その世界に浸れる知的余裕というのか、「精神世界での遊び」という のか・・表現は別にして、「寄席・若竹の挑戦=円楽師匠の挑戦」で
あった。しかしその若竹も今は無い。多額の負債を残して円楽師匠の
挑戦は終わった。若竹を潰したのは我々一般市民だといえよう。
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三遊亭円楽 |
中村仲蔵 |
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三遊亭円楽 |
目黒のさんま |
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三遊亭円楽 |
花筏 |
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三遊亭円楽 |
酢豆腐 |
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三遊亭円楽 |
阿武松 |
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三遊亭円楽 |
芝浜 |
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三遊亭円楽 |
短命 |
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三遊亭円楽 |
茶の湯 |
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三遊亭円楽 |
酢豆腐 |
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三遊亭円楽 |
阿武松 |
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三遊亭円楽 |
小間物屋政談 |
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三遊亭円楽 |
死神 |
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三遊亭円楽 |
大師の杵 |
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三遊亭円楽 |
厩火事 |
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三遊亭円楽 |
薮入り |
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三遊亭円楽 |
花見の仇討ち |
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三遊亭円楽 |
豊志賀の死 |
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三遊亭円楽 |
白木屋 |
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三遊亭円楽 |
宮戸川 |
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三遊亭円楽 |
文七元結 |
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三遊亭円楽 |
浜野矩髄 |
「中村 仲蔵」・・・・・・・・・・談義
ご存じ「忠臣蔵」の幕ものである。「忠臣蔵」を題材とした噺は、「四段目」
「七段目」「九段目」「淀五郎」と、この「中村仲蔵」であろう。
まだ下っ端の役者であった仲蔵が座長から「大名代」という地位に抜てきされる
今風にいうと平社員から役員になったようなもの。「大名代」ともなると、
一人何役も役割がくるのがふつうであった。が仲蔵にはたった一役しか割り振ら
れなかった。その役も「小野定九郎」という当時では冴えない役であった。
「小野定九郎」が出てくる場は「弁当幕」といって、観客が飲み食いしながら
芝居をみる時間帯であった。したがって芝居などみていない。役者にとっては
やりがいのない幕である。「小野定九郎」という人物は浅野家家臣のの息子で
あったが、落ちぶれて浪人の身。薄汚れた風体のドジな役回りであった。
大抜擢された仲蔵にとってみては面白くないのも当然で、くさってしまう。
抜擢してくれた座長を恨み始める。家に帰って女房に訳を話す仲蔵。
普通の女房なら、「なによ、あの座長は!あんたのことをみくびりやがって
冗談じゃないわよねえ。ほんとに!」なんて言うところ。
しかしこの女房は違っていた。こう言ってみせる。
「あんたを下っ端から大名代に大抜擢してくれたのは座長さんでしょ!
いわば大恩人。その座長さんがこの役をあんたにふったのは何か訳が
あるはずですよ。あんたでなきゃできない工夫を期待しているのじゃないかい」
これを聞いた仲蔵は思い直す。円楽師匠曰く「だからいい女房というものは
もたなくちゃいけない」ってことに。
気を取り直した仲蔵は二十一日の願をかけて一心に神頼みをする。
何か良い工夫がないものか、思案に明け暮れる毎日である。
願かけが実ったのか二十一日目の帰り道、夕立で飛び込んだ「そばや」で
偶然に出会ったのが旗本の男。その形は実に粋そのもの。黒羽二重に、
茶絹上という出で立ちで、雨に濡れて「水の垂れるようないい男」であった。
この姿にピンときた仲蔵。その姿を写して今の「小野定九郎」になったという。
弁当幕でワイワイやっていた観客は驚いたそうである。例のごとくドジな
野郎がでてくるのかと思っていたところに、実に粋な姿で現れたのである。
後に「仲蔵みえ」といわれる「みえ」をきってスット立ったその姿の見事さに
おもわず場内がシーーンとなったという。落ちぶれたとはいえ武士の出。
それがあんなドジな姿じゃおかしいと思っていた観客の疑問を見事に打ち消した
名演であった。この芝居をもとに大看板「中村仲蔵」が誕生したという人情噺
である。持つべきものは良い女房とはこのこと。亭主が落ち込んだときに、
どう立ち直らせるのか腕の見せ所。
「夢でも良いから持ちたいものは金のなる木と良い女房」
・・・言い得て妙ですな。
「酢豆腐」・・・・・・・・・・談義
例によって町内の若い者が集まって「寄合」となる。当然ながら金はない連中。
それでもなんとか算段して一杯呑もうということに。ところが酒の肴がない。
酒好きは肴なんてなくてよいというものだが、そうもいかないのが、酒飲み。
いろいろひっかき回したがろくなものがない。香の物で一杯となったが、
糠味噌に手を入れるのが嫌な連中。気のいい仲間をおだててとりださせようと
するが失敗。そんなところに現れたのが大店の若旦那。この人物、噺によく
でてくる放蕩者で、鼻つまみものってやつ。
この若旦那をからかってやろうとした連中。一計を案じる。前の晩、与太郎さん
が釜の中に入れてとっておいた豆腐、暑いさなかのことで腐ってしまい貴意色に
変色してスッパイ匂いさえするしろもの。これを若旦那に食べさせようという
わけである。吉原から朝帰りの若旦那。連中にのせられてとうとう食べるはめに。
この辺が気位の高い若旦那の弱みをついた一計であった。
「南蛮渡来の珍なるもの」とか言って一口。やっとの思いで飲み込んで・・・
「若旦那。それは何というものですか?」という問いに、思わず・・・「酢豆腐」
という落ちである。
上方落語では「ちりとてちん」という題となっている。東京でも小さん師匠など
が、この題で演じている。実に落語らしい噺である。
枝雀師匠の演じ方もまた違った意味で面白い。