六代目 三遊亭 円生師匠編

 


本名:山崎松尾。大阪市西区花園町にて出生。生まれる一ヶ月程前に初代三遊亭円朝が亡くなっております。

 

ようやく円生師匠を取り上げることに致しました。ネタ数の多さには定評がある師匠です。落語のネタは全て

おやりになることができたと思われますが、下表には思いつくだけのものですがまとめて見ました。

“円生百席”には他にも一杯在ります。聞いたことが無いのでのせていません。

これ以外にも当然ながらあると思います。お耳なれした落語から珍しいと思われる落語まであります。

幼少に時には既に義太夫語りとして高座に上がっていた師匠です。“豊竹豆仮名太夫”という芸名でした。

ですから芸暦は長いのです。おそらくは多くの落語家さんの高座を聞いて育ったのでしょうから、蓄積されていた

芸は想像だにできません。なにしろ本物の高座を目の当たりにしてきたのですからね。

柏木町に住んでいたので“柏木の師匠”とも言われていました。

柳家紫朝師匠がカバン持ちをやっていたことがありまして、古い新内などを教えてもらったこともあるようです。

高座でもいいのどをきかせてくれました。

三十石の舟唄などは円生師匠の右に出る人はいなかったでしょう。

“豊竹屋”などは代表作でしょうね。人情噺に至っては絶品でしょう。余りのリアルさに怖いものを感じた時期も

ありました。“鼠穴”などはそうでしたね。

珍品中の珍品が“おかふい”でしょうね。何故師匠がこんな話を高座でやっていたのか不思議な気がします。

“しゃれ”だったのでしょうか。

 

円生という人は若い頃から売れていたわけではありませんで、人気がでたのは晩年になってからのことでした。

昭和48年に昭和天皇の皇后陛下古希の御祝いに皇居春秋の間で「お神酒徳利」を御前口演いたしました。

陛下の前で落語をやったのは他に小さん師匠くらいでしょうか。

文楽・志ん生・正蔵と並び賞される円生師匠ですが後世はかなり“辛口な生き方をなさっていました。

お亡くなりになる頃はかなりのハードスケジュールをこなされていたと談志師匠がおっしゃっていました。

落語協会を脱退したあと全国を飛び回っていらしたのですから、体に無理が合ったのでしょう。

昭和54年9月3日心筋梗塞で亡くなられたのでした。

 

浮世床

鰍沢

八五郎出世

遠山政談  

鰻の幇間

ガマの油売り

初音の鼓

塩原多助一代記

永代橋

金明竹 

一つ穴

牡丹灯篭

江戸の夢

五段目

へっつい幽霊

牡丹灯篭・お露と新三郎

おかふい

小判一両

包丁

牡丹灯篭お札はがし

おさん茂平

小間物屋政談

またかのお関

牡丹灯籠関口屋ゆすり

おせつ徳三郎

盃の殿様

松葉家瀬川

夏の医者

お化け長屋

しの字嫌い

木乃伊取り

火事息子 

お七

しわいくらべ

緑林門松竹

花筏

お若伊の助

そばの殿様

目黒のさんま 

掛取万歳

お藤松五郎

ちきり伊勢屋

らくだ

鰍沢

汲みたて

唐茄子屋政談

阿武松

肝つぶし

怪談乳房榎

遠山政談

安産 

関取千両幟

ねずみ穴

長崎の赤飯

一人酒盛

紀州

鰻の幇間

なめる

引っ越しの夢

 

権十郎の芝居

後家殺し

江戸の夢

居残り左平次

五段目

御神酒徳利

九段目

権十郎の芝居

権十郎の芝居

江戸の夢

札所の霊験

三年目

五段目

骨違い

三井の大黒

山崎屋

後家殺し

紺屋高尾

三軒長屋

子はかすがい

御神酒徳利

佐々木政談

三十石

子別れ

死神

鹿政談

女学校操競お里の伝

真景累ガ淵聖天山

紙入れ

芝居噺 名月八幡祭り

妾馬

真景累ケ淵・お久殺し

紫檀楼古木

芝居風呂

樟脳玉

真景累ケ淵・新五郎

真景累ケ淵・新五郎・豊志賀

水神

代脈

猫忠

真景累ケ淵・豊志賀の死

双蝶々

中村仲蔵

猫定

人情噺小判一両

早桶屋

転失気 

派手彦

水たたき

霜夜狸

唐茄子屋

盃の殿様

白波看板

百年目

福禄寿

包丁

髪結い新三 

品川心中

文違い

豊竹屋

百川

浮世風呂

文七元結

弥次郎

淀五郎

洒落小町

桜鯛:円生最後の高座でした。

 


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