桂 平治 師匠編

当代 桂 文治師匠のお弟子さんでしてね、若手の中で江戸落語の噺家の匂いを
強く感じさせる噺家です。桂 文治師匠の影響を存分に受けているのでしょう。
江戸の粋と気風に良さを感じてしまいます。一昔の寄席ではこういうような噺家が
沢山おりましたが、今は妙に現代化してしまっていて……
亡くなられた柳朝師匠のように、江戸っ子が落語をやっているんだというイメージが
平治師匠にはある。平治師匠が江戸っ子かどうかは別にしてね。
落語には“型”というものがある。歌舞伎にもある。この“型”を師匠から習う。
そして高座にかける。ここに継承が行われる。いづれかしか、自分の工夫を入れる。
大方が失敗する。その中でも成功することがある。それが新しい“型”になることもある。
その噺家だけで終わる事もある。
平治師匠は「江戸」を受け継いでいるといっても過言ではない。
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桂 平治 |
平林 |
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桂 平治 |
こいがめ |
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桂 平治 |
味噌蔵 |
「味噌蔵」……………・・という噺
大店の噺である。大旦那はいつものように始末屋でして、店の者には普段はろくな
食事もさせていない。目玉が映っているほど薄い味噌汁をしじみ汁とまちがえるほどのしろもの。店の者の不満はつのっている。
味噌を商っているので、蔵には商品の味噌が置いてある。
江戸は火事早いところですから、商人にとって蔵が財産を保護する大事な代物。
銀行などないのだから現物こそ価値がある。火事の時は母屋が焼けるのは仕方がない
ので、蔵さえ焼けなければ、また商売ができるのだ。
そんな事で蔵の窓などは「目塗り」といって火事の時は漆喰などでふさぐ事になっている
味噌蔵などは急いでいる時には仕方がないから中の味噌で「目塗り」をすることもある。
そんなある日の事、大旦那が親戚の宴に呼ばれて小僧さんと二人で夕方から出かける
事になった。始末屋の大旦那は、土産物も人様の分まで持ち帰ろうと大きな風呂敷きを
小僧さんに持たせたり、帰りには下駄のいいものに履き替えてこようなどと思っていた。
一方、店の連中はてえと鬼のいない間の洗濯とやらで、番頭さんにうまく勘定をはじいて
もらって、めいめいが日頃から食べたいと思っているものを注文して宴会と相成る。
酒が入るに連れて店の中はどんちゃん騒ぎとなっている。大旦那はすっかり泊まり込み
で帰らないと思っているのだ。店の者の中に「豆腐の味噌田楽」をたのんだのがいて、
焼けた片っ端から店に届させた。「豆腐の味噌田楽」というのは、固めの豆腐を串刺しに
して味噌を付けてやいたもので、香ばしい匂いがしておいしい。酒の肴にもなる。
その時、帰らないと思っていた大旦那が帰ってきた。町内に近づくに連れて騒ぎの声が
聞こえてくる。「どこの家だろうと」と思っていると、何と自分の店。大急ぎで戸を叩く。
さあ、店の者は大変だ。宴会などをやっているのが知れればどうなるかはわかっている
ので、なんとかつくろおうとするのだが、間に合うはずもない。大旦那が店の中に
入ってきて一部始終が知れてしまう。
「このご馳走の費用は皆の給金から返してもらう。」などと言っているところに、れいの
「豆腐の味噌田楽」が届けられる。
「焼けてきましたよーーう。焼けてきましたよう。どんどん焼けてきますから。」
「おい。なんだいあれは。焼けてきたって。火事かい?こりゃあ近いよ。………
うん。なんだい、味噌の焼ける匂いだよこれは。番頭さん!蔵の目塗りはしてくれ
たんだろうね!」
「いえ、まだ……・」
「しまった。蔵に火が入った。」
蔵の火事の噺と言うと「ねずみ穴」という名作がありますよね。円生師匠のリアルな
噺が思い出されます。
「穴泥」の穴は、火事の時に家財道具などを放り込む穴を掘っていたようです。
店を継がずに火消しになった息子が勘当されたあとに、火事がきっかけで親子の
対面を果たすという「火事息子」。
「厩火事」というけど火事がテーマになってはいません。
「富久」も火事が重要な役割を果たしております。
「三井の大黒」などは江戸がいかに火事早くて大工達は家を建てることにどんな建て方
をしていたかを明かしている。
「二番煎じ」なども火事にからんだ噺ですよね。