上方落語「除夜の雪」

陽気な話が多い上方落語の中で少し、しんみりとした哀れな話です。
オチはあるのですが、いいものではないので省略して、紹介してみましょう。
話の舞台は大晦日の寺です。今は温暖化で冬でも寒くないようですが、当時はかなり寒かったようで、江戸でも
ちょいちょい雪が降ったし、「富久」なんて話にあるように風が吹いたりすると、身に沁みる寒さだったようです。
席亭も幼少の頃は今よりも寒かったようです。
暖房システムが全く違いますから、火鉢くらいしかなかった時代です。
この寺、住職の他に、年かさの坊主と若い坊主が二、三人いまして、仏に仕える身なのに、住職は五戒を保つなんて
ことはとうに忘れてしまいまして、金に執着している。現代でも、坊さんというとでっぷり太ってね丸顔でメガネを
かけて女優さんなどに手を出している坊主がイメージできます。
住職がこれですから弟子の坊主もしれたものです。ろくなものがいない。
大晦日というと除夜の鐘をつくのが坊主の仕事ですが、百八つの鐘をたたくのはたいへんなようです。
極寒の中ですから、六十を過ぎる頃には手がかじかみますし、雪なんぞ降ってくると辛いですよ。そうでなくても
お堂の上に積もった雪が鐘をつくたびにぱらぱらと落ちてくるというようなことで、できればさぼりたいのが人情です。
でも檀家からすれば除夜の鐘が聞こえないというのは困りますから、止めるわけにはいかないです。
温まりたい坊主たちです。炭をガンガンくべたいのですが、その炭も住職が使っているような堅炭ではなくて、ごく
悪いものがあてがわれる。これでは一晩中もちません。気の利く新人坊主が住職の使う堅炭をくすねてきたり。
実家から魚の日干しなんぞをもってきてね、差し入れたりする。焼くと煙でばれてしまうので、水につけて紙で
くるんで焼く。蒸し焼きにして食べたりしてます。坊主らしからぬ様相です。
住職の金回りがいいというのは、檀家に商人が多くて、大店があるからです。
その大店の中に、若旦那のところに嫁が嫁いできました。大旦那夫婦が健在です。この嫁さんは出身が貧しい家でね
大旦那の妻、若旦那の母親ですね、不釣合いの縁ということで大反対です。
この辺は現代でもよくある話です。「嫁と姑。なさぬ仲です。」
若旦那はぞっこんですから反対を押し切って結婚します。
案の定、姑が嫁をいびるという、お決まりのパターンです。その凄まじさは奉公人も噂する始末。
「おまえなんざ、この家に嫁ぐような身分じゃないよ。さっさと出ていきな。」なんってことを言う。
親の大旦那が亡くなると、そのいびりはますますエスカレートしますよ。
この関係は日本だけじゃないですね。どこの国でも同じですよ。人間の業なのでしょうか。
亭主の葬式には妻が殺されるという民族もあるようです。
さて寺の話に戻ります。夜も更けましてね。坊主たちは愚図愚図さぼっております。
そのうちに、鐘がぼーんと鳴ります。
「おい。誰だい?鐘をついたのは、」
「住職かなぁ。」
「住職?・・・・そんなこたぁねぇだろ。住職は今頃金勘定で忙しいはずだ。」
「それもそうだ。誰だろねぇ。」
「おう。長いこと寺にいるとな、いろなことはあるもんだ。夜も更けてな、誰もつかねぇのに鐘が鳴るときは、檀家の
人が死んだ時だ。寂しくぼーんと鳴るんだよ。」
「そんなことがあるんですか。」
「いい話だろ。」
「はい。」
「今晩は。どなたかいらっしゃいますか?」
「はい。どちら様でしょ。おしつまってなにかありますか?」
「はい。お寺より長いこと借りておりました提灯を返しに参りました。おあけいただきたく。」
「どちら様でしょ。」
「伏見屋からまいりました。」
「あそう。今あけます。」
「今晩は。」
「これは伏見屋の御寮人さん。提灯など丁稚さんにでももたせていただければよろしいでしょうに。」
“御寮人さん(ごりょんさん)というのは、旦那なのおかみさんですね。”
「いえ長い間、返しそびれておりまして、心に残っておりましたので。」
「そうですか。」
「では。失礼します。」
御寮人さんは帰っていきました。
まもなくして、伏見屋の御寮人さんが姑のいじめに耐えきれなくて首をつって自殺をしたということがわかります。
それは丁度、御寮人さんが寺に提灯を返しに来た頃なのですね。
鐘を鳴らしたのは御寮人さんだったのだろうということになりました。
「釣りあわぬ縁は不幸の元」
哀れな話でした。