柳家 さん喬 師匠編

最近の師匠の充実振りには感心します。失礼な言い方ですが随分上達されたと思います。
心境に何か変化があったと思われます。この師匠の落語ならぜひ料金を払って聴きたいと思います。
実は席亭は「さん喬」師匠の隠れファンなのである。
別に隠れる事もないけれど、お弟子さんの喬太郎さんもね。
お弟子さんのHPから先にUPしてししまったので、ちと気が引けるところもありますがね。談志師匠や志ん朝師匠、小三治師匠などが、とかく話題にのぼりますが、寄席に行って
いつものお囃子があり、出を待っている時、あの噺がまた聴けるのだという不思議な
期待感を持たせてくれる師匠の一人です。
「いつもの落語」でいいのです。きっちりと聴かせてくれる噺家さんがいいのですね。
マンネリではなく、“日常の連続”とでもいいましょうかね。
枕をふる噺家さんと、そうではない噺家さんと大きくは二つに分かれますが、どちらが
いいかは与論を残す所でしょう。立川流のように必ず枕をふるのか、高座に上がるや
ポンと噺に入ってしまうのか。賛否はともかくも、その噺家さんによるとでも言えましょう。
さん喬師匠の「片棒」はいいですよ。「百川」もね。ぜひ機会があったら聴きに行って
下さいな。
そのうち天下を取る噺家さんになるかもしれません。期待は大きいです。
|
柳家さん喬 |
片棒 |
|
柳家さん喬 |
水屋の富 |
|
柳家さん喬 |
百川 |
|
柳家さん喬 |
井戸の茶碗 |
|
柳家さん喬 |
幾夜餅 |
|
柳家さん喬 |
替り目 |
|
柳家さん喬 |
中村仲蔵 |
|
柳家さん喬 |
そば清 |
|
柳家さん喬 |
初天神 |
|
柳家さん喬 |
千両みかん |
|
柳家さん喬 |
天狗裁き |
|
柳家さん喬 |
棒鱈 |
「片棒」…………………・・という噺
そろそろ店を継ぐものを決めなければならない大旦那。三人の息子がいるが、誰を
後継者にするかを決めかねている。そこで大旦那は、ある命題を与えてどのように対応
するかを息子に答えさせて商売に対する姿勢を判断しようとする。
その命題とは、「自分の葬式をどのようにどり行うか。」である。
まずは長男から………
この長男は実に長男という性格でして、堅いのですね。きちっと物事に対応できるの
だけど、程度というものを知らない。というよりやはり見栄っ張りのところがある。
長男は大抵は世間体を気にするタイプが多い。子供の頃から後継者としての意識が
あるから、仕事はできるのだが、内面よりも外面を重視するタイプになる。
その長男の回答……
l大勢の参列者を呼び、僧侶も数十人呼ぶ。大きなお寺でとり行う。
l告別を済ませた人には別間で、ご馳走を振る舞う。
l帰りの車代としてお金を包む。
l三日間、これを行う。
l以上、総費用が葯三千両となる。
というような具合で、さすがに大旦那は呆れてしまった。
では次男はどうなのか…………・
次男は責任のないポジションにあるから、自由奔放といえば聞こえがいいが、仕事
よりも遊ぶほうが好きというタイプになりやすい。しっかりものの兄貴の影でこっそり
いい思いをしているのが次男。親の方も余り期待をしていない。だから適当に人生を
送ってしまう。この次男も同様で、花柳界などに出入りするやら、町内の威勢のいい
連中と付き合うやらで放蕩の毎日。したがって、このような回答になってくる。
次男の回答……
l湿っぽい葬式ではなく、賑やかなお祭り仕立てといく。
l山車のあやつり人形の替りに親父を仕立てて時々動かす。
l行列の先頭には幇間や芸者衆、その後には火消しの連中を並べる。
l笛や太鼓、鐘などでお囃子をやる。
でな具合で、これも大旦那には受け入れられない。
さて、最後は三男、末っ子である。
常日頃兄貴連中にいじめられているから、自立心が強くなる。
自分をしっかり守るタイプ。当然ながら金銭には辛い性格になる。
そんな三男の回答やいかに……・
l費用のかかることは一切やらない。
l参列者の方々には告別式を11時からと案内するが、8時には出棺する。
l従ってお焼香などは勿論、お坊さんも呼ばない。
lつまり、お葬式などはやらないということ。
l棺桶を運ぶために人を頼まず、自分で運ぶという。
この名案(?)を大変気に入った大旦那。身代を託すのは三男ということに決めた。
ただ一つ問題があるのは、棺桶は二人で担ぐが、片方は三男としてもう片方はと、
思案している三男に向かって、大旦那はこう答えた。
「もう片方は前にまわって自分で担ぐ」…………・とね。
ところで、この後に実際の大旦那の葬式のときに誰が後継者に指名されていたのかは
別のシリーズであります「落語ネタの不思議なお話」で取上げる事に致します。
「水屋の富」……………………………・・という噺
お金持ちの大店の旦那達は大方がケチな様子で語られている落語。
庶民の方はとなると貧乏というわけです。その庶民が一夜にして金持ちになるには
「宝くじ」。今も昔もこれは同じですよね。落語の中で「宝くじ」即ち「富」に関係するのは
「富久」「高津の富」「宿屋の富」それと「水屋の冨」てなとこでしょう。
江戸の街は水の便が良くなかったようで、水を売る商売があった。「水屋」ですね。
買った水は壷の中に入れて使います。壷といっても大きな瓶ですよね。
毎日使う水ですし、水自体が江戸の郊外の井戸からくみ上げて運んだものですから
値段は安かった。しかし、商売を休むと水が無くなる人もでてくるので、うかつに休めない。給水車なんてないから、天秤棒で担いで売り歩く。元手がかからないので商売に
入りやすいけど利は薄い。
そんな水屋さんに「富くじ」が当たってしまったというわけです。普段もちつけない大金を
持つと落ち着けなくなるのは解かりますよね。銀行に預けられればまだしも、それも
できない江戸ですからね。結局、隠すところは床下になる。
水屋さん、毎日床下にあるお金を天秤棒で探って、そこにあるのを確認しては出かける。帰ってきてはまた確かめるという日々。夜もおちおち寝ていられないということに。
昼間は重い天秤棒を担ぎ、夜は熟睡できない日々が続きます。「お金の苦労」というのは、本当はこういうことをいうのではないでしょうかね。……?
そんな水屋さんのことを見ていた悪い奴がいてね、床下のお金を探り当てると盗んで
逃げてしまう。商いから帰ってきた水屋さん、いつものように天秤棒で探っても手応えが
ない。床下を覗くとお金が盗まれている事に気付いた。
「水屋さん、よかったですね。」
これで心おきなく休む事ができるのですから。お金は程々にあればいいという…