入船亭 扇橋 師匠編

私蔵のビデオライブラリーの一端を紹介する。
あまり数多くない。下表の通り。
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入船亭扇橋 |
文七元結 |
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入船亭扇橋 |
お神酒徳利 |
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入船亭扇橋 |
富久 |
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入船亭扇橋 |
藁人形 |
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入船亭扇橋 |
茶の湯 |
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入船亭扇橋 |
鰍沢 |
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入船亭扇橋 |
人形買い |
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入船亭扇橋 |
へっつい幽霊 |
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入船亭扇橋 |
ざこ八 |
現代の噺家の中では、実にオーソドックスな芸風である。
安心して聞ける噺家であろう。派手なところもなく、地味ではあるが
心をなごませる噺家である。ゆったりと噺を楽しむことができる実に
貴重な噺家である。よくかけられる題が「文七元結」という人情噺で
ある。「鰍沢」もお得意のネタであろう。上の表の「人形買い」は
珍しい噺であろう。師匠の口調は江戸時代の時の流れるスピードを
もっており、「噺に浸れる時間」を体感できる。ラジオやTVで
聞くより、寄席に行って高座を聞くべきであろう。外に流れる時間と
違うゆったりとした時間に浸る心地よさを味わえる。
現代人には時間が停滞するような場所が必要ではないだろうか。
私は「文楽」や「歌舞伎」、「狂言」といった古典芸能、邦楽が
好きでよく出かけたりする。でも内容を理解しているわけではなく、
その意味も分かっているわけではない。その芸能の流れる時間が
好きなのである。その雰囲気に包まれるのが好きなのである。
私の楽しみ方は演じておられる方からみれば失礼な客になるのだと
思う。(落語は別だけど)。バーチャルな瞬間ということか。
世の中どんどんスピードがアップしている。乗り物は勿論、パソコン
や通信回線速度、地震速報・・・等々。
落語風に言うとその内に「貧乏人は新幹線で行き金持ちは駕篭でいく」
贅沢の価値観ががらりと変わるようになるのでは。
時間を贅沢に使うことは金がかかる時代とは満更バーチャルでもある
まい。金持ちの会話もこうなる。「ちょいと吉原まで駕篭でやって
くんな」・・まるで「蔵前駕篭」気取りってやつ。
人力だからコストがかかる・「浦賀の黒船はどうなりましたかね。」
なんて会話を楽しむ−バーチャルカンバセッション−贅沢の極み。
こういう時代になると扇橋師匠のような存在がうれしい。
実にうれしい。扇橋師匠は「俳句」の世界でも有名で、私も別の
ホームページで俳句もどきの作をのせているが、師匠の影響なのかも
しれない。
談志師匠のようなアグレッシブな噺も受け手の感性を刺激されて
意欲をそそられるが、対極にある扇橋師匠の噺も私をまた十分に
刺激してくれるものなのである。そのような噺家には私の知るだけで
(当代)春風亭柳橋師匠がある。あまり多くはおられないのである。
上方の「桂 枝雀師匠」が「落語とは緊張の緩和である。」と言って
おられるが、同感である。
「人形買い」・・・・・・・という噺
「壺算」という噺があるが、ストーリー的には似ている。
長屋の連中が金を集めて祝いを持っていくために、人形屋で値切って人形を
買う。返品するときに勘定をごまかすという噺。
「壺算」という噺のごまかしを「算数の時間」で説明しましょう。
大きい方の瓶を買いたいのだが、小さい方の瓶の値段の交渉をして5円を
3円に値切って代金を払い持ち帰るが、途中から引っ返して店主に「実は大きい
方の瓶が欲しかった」と交換を求める。小さい方の倍の大きさだから値段も
倍の6円でいいだろうという寸法。4円も値切ったことになる。
そこで代金の精算ということになるが、返品の瓶が3円で、さっき支払った
代金が3円あるから合わせて6円というゴマカシをやってのける。
店主のそろばんは当然合わないが、このからくりに気が付かないのがミソ。
「茶の湯」・・・・・・・という噺
「茶の湯」という噺は扇橋師匠にピッタリの噺である。
いわゆる隠居噺であるが、落語バーチャルワールドの中では「隠居」の存在は
重要で、教養があり温厚で人情にあつい人物描写がなされる。極悪非道な隠居
というのは出てこない。大抵は大店の旦那が家督を譲って隠居するという具合。
「根岸の里のわび住まい」ということに。
ところが「茶の湯」に出てくる隠居は余り教養はないようで。丁稚の定吉と
二人で根岸の隠居所を買って暮らし始めるが退屈な毎日を送っている。
暇つぶしに何かやろうかということになるが、無趣味な隠居のこと、茶の湯でも
と風流を始めた。茶の作法など知らない隠居、抹茶の替わりに「青黄粉」、
あぶくがでないので「椋の皮」を使って茶をたててる。「椋の皮」は石鹸の
ない時代に使われたもので、あぶくがよくでるしろもの。
こんなものを風流・風流といって毎日飲んでいた二人。とうとうお腹をこわした。
すっかり消耗した二人。自分で飲まずに長屋の連中に飲まそうと考えた。
声をかけられた長屋の豆腐屋、頭領、寺子屋の先生の三人。やはり茶の作法など
知らないので困り果て引っ越しをしようという算段をするが、恥をかいてからも
おそくはないと隠居の所にでかけるが、まずい茶を飲まずに茶菓子をたくさん
やってしまうので費用がかさんだ隠居は「灯し油」でてからせた菓子を作って
だし始める。これも食べられたものではない。茶の席によばれた客は隠居の目を
盗んで外に投げてしまう。塀の外で畑仕事をしていたお百姓がこうつぶやく。
「また茶の湯やっているんだあ」・・・オチでした。
落語の中ではよく出てくる人物が大店の丁稚で名前を「定吉」という。
この「定吉さん」が実に多くの噺に出てくるのである。ちょっと考えても
「悋気の火の玉」「四段目」「百年目」「蔵丁稚」「引っ越しの夢」
「口入れ屋」などなど。「茶の湯」は代表的な噺であろう。