落語川柳その2

 


<落語の中の川柳>

 江戸の文化といえば、なんといっても「吉原遊郭」です。

 落語の中で何と遊郭の噺が多いことでしょうか。

 ご存じのように、いわゆる「遊郭」は制度的には昭和

 31年に廃止になりました。

 女性の人権問題に関わりますが、その当時ということで、

 お許し戴きたい。決して悪意はありません。むしろ

 憧れの世界と感じています。即ちバーチャルワールドです。

 ですから多くの世代は「遊郭」というものを知りません。

 落語の世界では正にバーチャルワールドとして話芸にて

 見事に描きあげています。いくつか出し物をあげてみましょう。

  「品川心中」「居残り佐平次」「文違い」「よかちょろ」

  「二階ぞめき」「五人まわし」「明烏」「付け馬」など

 まだまだたくさんあります。

 そのバーチャルワールドを川柳は見事に表しました。

 

 ★ 親父まだ西に行かずに北に行き

 

   西とは「西方浄土」のことです。北とは江戸市街から吉原が北の

    方向にあったことから「吉原」をさします。

    「吉原」は今の浅草寺の裏の方にあったのです。「馬車道」とか

    「日本堤」などの地名は名残です。

    この親父さん、いい歳をして「吉原」通いしていたのでしょう。

    なんといっても、この道だけは年齢に関係ないみたいですね。

    いくつになっても、「恋心」を無くさないのって好いのでは。

    若さを保つ秘訣かもね。

 

 ★ 傾城の誠無しとは誰がゆうた、誠あるほど通いもせずに

   ふられて帰る憎くて口

 

    川柳じゃないけど、いい文句でしょ。   

    「傾城」とは「吉原の花魁」のことです。「城を傾ける」ということ。

    「城」=「大名」、即ち、大名の経済も傾けかねないということですね。

    「花魁」とは大名の位と同格とされており、「松の位の太夫職」

    「太夫」とは「花魁」と同じような意味でしょう。

    「太夫」は知性・品格も高く、常識も心得、様々な芸に長けていた

    といいます。いわゆる当時の最高の女性でした。

    勿論、美しい女性だったのでしょうね。歌麿の浮世絵で伺い知る

    ことができます。

    とはいっても、「遊郭」はお金で・・・ところです。

    やはりそこには、男女の仲の騙し合いがありました。

    「傾城に誠無し」、されど「誠あるほど」男は通っちゃいない。

    ふられて帰れば、悪口を言われるばかり。

    ほんにこの世はままならず・・・ってとこですか。

    「恋は神世の昔」から、今も昔も男と女、あいもかわらぬ、

    巷の風景でした。

 

    ところで、江戸の説明を少しいたしましょう。

    江戸は人口が最高で100万人、当時の都市では世界的にも大都市

    であったようです。居住地域は今の東京とは比べものにならないほど

    狭く、品川駅なぞは海の底だったようです。何しろ新宿が市街地からは

    郊外になり、「内藤新宿」といわれ、いなかだったようです。

    品川などは東海道の入り口で江戸もここまでだったようです。

    西の方に旅にでる時は、近所のみんなが品川まで見送りにきたそうで。

    男女の人口比は「娘一人に婿八人」といわれたように、女性の人口が

    男性よりかなり少なく、従って恋愛の機会も少なかったようです。

    ですから、「吉原」を始め「江戸四宿」が人気だったのです。

    「江戸四宿」とは吉原、品川、千住、板橋です。

    「太夫」は「吉原」にのみいました。ですから「吉原」が

    一番、恪上になります。

    {吉原」に関しては「江戸文化」という言う切り口で取り上げたいと

    思います。

    今回はまずは、これにて「おひけ」といたしましょう。    

 

  

 

 

 


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