「芝浜談義」



当席では初めての趣向ですが、特定の噺を取り上げております。

この噺は出来が良いのでしょうか、聞き手によって色々な受け方があるよう

です。「芝浜」を酒の肴に論議を繰り広げたら収拾がつかなくなってしまう

ことでしょうね。現に席亭仲間でも、そのようになってしまいます。

当席のご常連の方々にあえて以下の質問を致します。

さて、どのようなお答えをなさるのでしょうか?

   

Q1.「四十二両」を亭主が拾ってきたことが解った時、どうして

   女房は使おうとしなかったのか?

 

Q2.大金が舞い込み、ドンチャン騒ぎをしたこと(これこそ夢の中なの

   だが)を、夢の中のこととして言いくるめられた亭主は何故、急に

   真面目になって働く気になったのか?

  

Q3.なんとかなって、店の一軒ももてた亭主が暮れに女房にすすめられて

   お酒をだされるが、何故飲めなかった(飲まなかった)のだろうか?

  

どうでしょうか。男性、女性の方々によっては意見が分かれるのではないで

しょうか。

実際、当席をご覧戴いただいた方々から様々な感想をメールで戴いております。

「ご口上」欄でご紹介した若い二人の女性達からも戴いております。

メールですので、年代はわからないのですが、推定をしながら読んでおります

が、年代や経験、既婚・未婚によって様々な感想になっております。

特に談志師匠の「芝浜」を聴いた方々から鮮烈な感想を寄せられております。

「芝浜」というと、三木助師匠なのですが、現代に生かした「芝浜」というと

談志師匠以外にはないと席亭は考えております。

ですから色々な方々から談義が湧き起こるわけです。

「芝浜」だけで一本の映画ができそうな気がしております。

  

では席亭の解釈を述べる事にいたします。

  

Q1.「四十二両」を亭主が拾ってきたことが解った時、どうして

   女房は使おうとしなかったのか?

  

「勝」という名の亭主は腕の良い魚屋で客もたくさんおり仕事も真面目な男

であろう。仕事ができる男なのだが、男と言うものは、ふとしたことが

切っ掛けで仕事一筋の人生に嫌気がさすという瞬間があるものです。

酒におぼれる日々という、よくあるストーリへと展開していきます。

職人は日銭で暮らしていた江戸時代。酒代に消えていく生活費。

それでもなお、方方に借金をして亭主に酒の支度をする女房の気持ちはどんな

ものなんでしょうか。この人は根っからの怠け者じゃない。そんな人じゃない

から所帯をもった。いつか、今までのように働いてくれるに違いない。

好きな人だから別れるつもりはない。かといって亭主にきつくかみつく

気にはなれない。そんな女房の姿を感じます。

そんな時に大金が転がり込む。見たこともない大金です。

人間は大金を手にすると守りに入る人と気が大きくなる人と二つに分かれます。

「とりあえず貯金をしてゆっくり使い道を考えよう」「おもいっきり使って

しまおう」ということに。

でも、この女房は一文二文のお金は使えても大金の使い方は考え様もなく、

ましてや自分のお金ではないのだから、途方に暮れてしまう。

亭主に渡せば仕事もせずに酒を飲みつづける日々が続く。それでは亭主の体が

もたないし、仕事に生きがいを感じていた頃の亭主に戻してあげたい。

それには、この大金は邪魔なのだ。かといってどこかに捨てるわけには、

いかないし、思い余って大家さんに相談に行ったということなのだろう。

亭主に自分自身を取り戻して欲しいと願う女房の姿を感じます。

  

Q2.大金が舞い込み、ドンチャン騒ぎをしたこと(これこそ夢の中なの

   だが)を、夢の中のこととして言いくるめられた亭主は何故、急に

   真面目になって働く気になったのか?

  

「遊んでいても酒が飲めるから」と言った「厩火事」の亭主と、この「芝浜」

の亭主とは大きな違いがあります。拾った大金でこれからも遊んで酒が飲める

と思った亭主。財布を拾った実感もあるし、浜で日の出を見ながら仕事の

ことを思った実感がある。事実、浜に行っているのだから実感があって当然

なのです。久しぶりに仕事場に行った男の心の中に、今まで引っかかっていた

なにかが消えたのではないだろうか。酒で紛らわせていた何かがである。

談志師匠の工夫では海の水で顔を洗う場面があるが、この時にまさに

リフレッシュされたのであろう。

亭主は酒に溺れる日々=けして心が満たされてはいない日々との落差を

感じたのであろう。根は惚れ込んでいた魚屋という仕事への誇りを思い出した

のでしょう。談志師匠の高座に「生きの良い魚が生臭いかよ!」というくだり

がある。「どうせいうなら磯くさいと言ってみろ」ということ。

誇りを思い出した男は強いのです。

  

Q3.なんとかなって、店の一軒ももてた亭主が暮れに女房にすすめられて

   お酒をだされるが、何故飲めなかった(飲まなかった)のだろうか?

  

仕事に没頭していたであろう亭主。心の中に不満があって酒を飲んでいた

わけだから、今はなんの不満もなく、だから酒を飲む理由もなかった。

飲まないでも自分を保てた亭主。浴びるほど飲んでいたので、酒自体が嫌い

なのではない。でも飲む必要を感じなかっただけのこと。

ところが女房から見ると全く違ってみえる。

「好きな酒を我慢して一生懸命働いてくれている。」と……

我慢をして働いていたわけではない亭主。(最初は我慢していたけど)

そう思っていない女房。生活が安定する事。所帯を持ち続けることを願う女の

気持ちが、そう解釈させたと思う。

だから、「好きなお酒を飲ませてあげても、もういいのではないか」と考えた。

大晦日の夜、一年の仕事が生活がひと区切りつく日に、ねぎらいの意味を

こめてお酒の支度をし、畳を替えて待つ女房。

「お疲れ様。もう飲みたいのを我慢していなくてもいいのよ。好きなだけ

 飲んで、ベロベロになるまで飲んでもいいのよ。飲んで楽になって欲しい。

 我慢しなくても今の生活、所帯は維持できるのだから。」という思いが

女房にはあった。

だが亭主にはそんな思いはない。でも目の前で酒を勧める女房の気持ちを

思いやると快く受けてやりたいとも思う。

夢だ夢だと言って苦しみながらもだましてくれた女房のお陰で今の自分がある。

ならば、だまされつづけていた今が大切なのだと。女房の気持ちにそいつづけ

ていきたい。だから飲めない。飲まない。

「よそう、また夢になるといけない」というのは、今がまさに夢の中なのだ

という思いが亭主の中にあり、酒を飲む事が逆に現実に戻る、即ちぐうたらな

日々に戻る=夢が覚めるということを意味すると考える。

男と女の思いの違いがあります。「深くて暗い川がある」のでしょうか。


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