当代 三遊亭 圓歌 師匠編

 


ご存知、現落語協会会長の師匠です。

TVでお馴染みの師匠でしょう。だからライブラリーも以下のように多い。

比較的に新作が多い師匠。「授業中」や「西行」は有名ですね。

この頃は「中沢家の人々」が多く高座にかけられるようです。

師匠の本名は「中沢信夫(男?)さん」で自宅におられるご両親や義理の

ご両親達のエピソードを描いたもので、これまた傑作ですね。

「坊主の遊び」はいわゆる艶笑噺のジャンルに入ります。それにしても

「授業中」は昭和27年の作だとか聞いておりますから、新作とはいえず、

新古典という域に達していると思います。

故三平師匠とはライバル関係にあり、超売れっ子同士だった二人。

「あの三平が戦争に行ったのだから日本が負けるはずだよ」などと高座で

ギャグをとばしていたが、けして本意ではなかったはず。先代圓歌師匠も

地方出身で訛りに苦労した聞いているが、当代師匠も言葉には苦労している

ようです。噺の中にもあるが、「新大久保駅」の駅員だった。元国鉄職員。

立派な経歴の持ち主なんですね。これがまた。そして浪曲もうまく、

今にいたっては、日蓮宗のお坊さんである。波瀾万丈の人生を送られた、いや

送っておられる師匠なのだ。

 

三遊亭圓歌

授業中

三遊亭圓歌

昇給日

三遊亭圓歌

昭和芸能史

三遊亭圓歌

坊主の遊び

三遊亭圓歌

西行

三遊亭圓歌

我孫子宿

三遊亭圓歌

昭和名人伝

三遊亭圓歌

三道

三遊亭圓歌

紺田屋

三遊亭圓歌

ある落語家の一生

三遊亭圓歌

中沢家の人々

 

「紺田屋」という………・・噺

 

人情噺のジャンルに入るが、珍しい噺でしょう。圓歌師匠はオチをつけて

いますが、あまりいいオチではないと思えます。では…・

京都の染め物問屋である「紺田屋」を舞台にしている。この家には、お花さん

という娘さんがいるが、生まれつきの病弱で床に伏している事が多い。

ある日、食べ物を喉に詰まらせて窒息死してしまう。不憫に思った紺田屋の

両親は冥土への旅立ちにと娘さんに300両の入った財布を首にかけて埋葬

した。当時の事で「土葬」であった。

ある夜この店の手代が娘さんの墓を掘り起こそうと夜中に墓地まで出かけて

行った。300両が目当てであった。何も欲にかられてという訳ではない。

天下の通用金を墓に埋めたことが役人に知れれば主人にお咎めがくると案じた

のであった。若いが忠義な手代である。棺を空け、お花さんの首から300両

の財布をはずす時に首にからまったようで、お花さんが息を吹き返した。

実は食べ物が喉に引っ掛かっていたのが、財布の紐でとれたのである。

(この辺のストーリに少々無理があるようで…・)

お花さんが目を開けると目の前に手代の顔があった。このお花さんは密かに

手代に思いを寄せており、手代も同様であった。二人はこのまま京都で暮らす

訳には行かず、江戸に下って浅草寺の近くに「紺田屋」という同名の店を

開ける事になる。二人の間には子供も生まれていた。

時は移り、京都のご両親も年を取り、お遍路の旅にでもでようかということ

になる。四国へ行くのもいいが、江戸見物をかねて東へ行こうということに

なり、江戸に出てきた。方々を見物して浅草の観音様参りにやってきた。

祈る事は昔亡くなった娘のお花さんのこと。生きていれば今頃は・・

などと思いつつ、偶然にも「紺田屋」の前を通りすぎる。そこをまたまた偶然

にも手代、今は主人が見ており。気づいた。早速声をかけて引き入れるが

両親の方は気がつかない様子。「実は私は手代の…」と切り出す。

「おおそうか。立派になって、店の名前も紺田屋としているのかい」

「はい、勝手にはと思いましたが、ご恩返しと思いまして…」

「そうかい、よくやっておくれだね。まあ…」と涙ぐんでいる。

「それで、女将さんはどうしているんだい?…」と聞いた。

ここぞと思ったか、奥にる女房を呼んだ。何も知らないお花さんが店に

出てくる。その姿を見て驚いたのはご両親である。死んだと思った娘が

子供を抱いて目の前に立っている。驚かないのが不思議であろう。

実はこれこれ・・という事次第を話し、正に「事実は小説より奇なり」を地で

いく展開なのだからドラマチックなのだ。

この噺にはオチがあるのですが、あえて延べばいことにします。

この噺はもうこれでいいような気がしております。

 


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