立川 藤志楼 師匠編

立川流の噺家。落語協会や芸術協会に属していない。
ご存じ作家の「高田文夫」氏である。収録数は少ない。ある意味で
素人だから出演も少ないのは当然。「とうしろう」とは「しろうと」
の楽屋言葉だから、自らそう認識しているのだろう。
しかしその芸歴はそんじょそこらの落語家にはひけをとらない。
右朝師匠や権太楼師匠のほぼ同期で、落研仲間ときてる。
二代目圓歌師匠も○○連とかいうやつで素人で地方をまわっていた。
「三遊亭柳橋」などと名乗っていたというからこわい。
圓歌師匠は金馬師匠と兄弟弟子になったが、「高田文夫」氏は
談志師匠の門下になった。立川流である。
シャレのつもりか、素人はだし。
実に達者である。とうしろうだから許されるクスグリなんざ、藤志楼
師匠しかできない。だから聴きたいという変なことになる。
談志師匠には叱られるかもしれないが、噺ならぬ落語もどきのもの
なら、噺家の口調を含めて頭の仲に入っている。だから体をスピーカ
にして、発声すれば噺ができそうなものだが、できない。
見事にできない。
「あたぼうよ」と大向こうからきそうだ。
とうしろうにできるわきゃあない。するってえと藤志楼師匠は
藤九楼(とうくろう・・くろうと)でなふうに名前を変えて
手ぬぐいくばらなきゃならいのではないかな。
・・・・・\(^o^)/
それでは立川藤九楼師匠の出でございます。
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立川藤志楼 |
風呂敷 |
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立川藤志楼 |
蔵前駕籠 |
「蔵前駕篭」・・・・・・・・という噺
吉原通いの決死隊の噺である。娘一人に婿八人といわれ、女性の人口が極端に
少なかった江戸では岡場所から吉原まで遊び場所が欠かせなかった。
唯一公認の場所が吉原である。品川・千住・新宿などは民営なのだ。
江戸も末期、治安が悪化して地方出身の浪人などが喰うに困って辻斬りなどを
やり始めた。吉原に通う客なんざ、いい標的になる。金をもっているのに
決まっているから。身ぐるみ剥がれて命だけは助けてもらって逃げ帰る。
そんなことが続いてとうとう午後六時以降は外出禁止のおふれがでる。
日の高いうちから吉原に遊びに行ける者は少ないわけで、夕方から一杯ひっかけ
て吉原に繰り込むのが常。それができなくなるのだから大騒ぎ。強行突破を
試みる者ものもいたが、途中で身ぐるみ剥がれて・・・(*_*)
そんなある日、女郎買いの決死隊のような奴が現れた。駕篭屋さんに酒手を
はずんだ上に、吉原までたどり着いたら女郎買いまでさせてやるという条件を
付けた。(こうまでしても行きたいのが吉原なのだ)
案の定駕篭屋さんはのってきた。そこで、かの男、ふんどし一丁になって、
脱いだ着物をまるめて座布団の下にかくして駕篭に乗り込んだ。
「さあいけ!」のかけ声にて、祝儀をもらっている駕篭屋さんは、吉原へと
つっぱしる。その早いのなんのってまるで「反対車」もどき。日本堤までくると
辻斬りの連中が出てきた。
「おい、我々は故あって幕府に逆進する者。資金に困っておるゆえ、有り金・
身ぐるみ脱いで置いて行け!」と脅した。
手応えがないのに不審に思った浪士達。駕篭を開けると、ふんどし一丁の男が
坐っているではないか。
「おお、もはや済んだか」・・・・でオチ。
なるほど考えたものだ。もう追い剥ぎにあってしまって何もありません。という
算段。まんまと吉原に着いたかは定かではない。
それにしてもタイムマシンがあったら観てみたいのが吉原ですね。
さぞかし華やかだったのでしょう。まわりと比べたらという紋号が付くけど。
現代の華やかさを知っている我々にはそうインパクトはないかもしれないが、
江戸市中の八割の面積を武家と寺社がしめ、二割の中に人口の半分50万人が
押し込められていた江戸市街である。庶民の暮らしや、いかばかりか。
計算すると四畳半に八人住んでいることになるそうだ。過密そのもの。
蔵前の江戸資料館にいけば観ることができる。
「風呂敷」・・・・・・・・という噺
志ん生師匠のものが思い浮かぶ。間男の話である。
「枯れ木の枝と間男は登り詰めたが先がない」という代物。
間男の噺というと・・・「紙入れ」を思い出すね。
「紙入れ」は志ん朝師匠や談志師匠、文朝師匠、小朝師匠など数々の
噺家が演目に入れている。
「風呂敷」は数少ない志ん生師匠のNHKビデオライブラリーに収録されて
いる。白黒で画質も悪い。ビデオじゃなくてキネコかもしれない。
さてこの間男、間の悪いことに、女将さんとよろしくやっているところに
旦那が帰ってきてしまう。あわてて押入に隠れるが、旦那は何も知らずに
その前に座り込んで酒を飲み初めて動こうとしない。気が気でない女将さんは
なんとかごまかして旦那を動かそうとするがうまくいかない。いつまでも押入に
入れて置くわけにもいかず、この一件の解決を間男の友人に打ち明けた。
この友人が機転のきく奴で、一計を案じた。かの旦那のところに行き、
「実は面白い話があるんで聞いてもらいたい。間男の話なんだが、こいつが
どじな野郎で、よろしくやっているところに旦那が帰ってきてしまい、
あわてて押入にくれたが、その旦那が動かない。あっしは、そいつを助けて
くれと頼まれやして、どうしようかと考えたんですが、いい案がない。
しょうがないんで、こうやって風呂敷を持ち出して、その旦那にかぶせちまう
ことにしたんで。こうやってねえ。」と本当に風呂敷を旦那にかぶせる。
「こう言ってやったんで。“おいこの間に裏から逃げろ!”とね。」
「そりゃちと乱暴だったなあ」と旦那。風呂敷をかぶせながら早く逃がせろと
目配せする友人。女将さんが手伝ってそっと逃がした。頃はよしと風呂敷を
とった友人。「いやあ冷や汗もんでしたよ」・・・
この噺は音だけ聞いていてもわからない。やはり噺家の仕草を見なくては
ならない。余り「高座にかけられない噺の一つだ。
間男が発覚すると男女重ねられて四つに切られたという重罪。「姦通罪」と
いって戦前(ちと古い言い方だが)までは法律で禁じられていた。
今、「姦通罪」などあったら大変だろう。「不倫」などという言葉に変わった。
自由恋愛の現代でも、「風呂敷」のような話はあるんだろうなきっと。