古今亭 右朝 師匠編

2001年4月29日 52歳 肺がんのために惜しくも亡くなられました。
惜しいなんてものでは有りません。その損失は落語界にとって大きすぎます。
席亭は残念ながら高座を拝見することはできませんでした。このことは悔やんでも悔やみきれません。
今となってはどうすることもできないことなのですがね。
右朝師匠が亡くなって半年後には志ん朝師匠が亡くなられたわけdすね。弟子を追うように・・・・・・・
昨今は寄席通いにあせりを感じています。“間に合ううちに・・・・・・・・・・”という思いが強迫観念となっているような
気がしています。
右朝師匠は落研時代からその実力は抜きん出ていたそうです。
右朝師匠の芸風は“軽妙洒脱”の一言でしょう。声の良さも印象的です。
古典落語を実にうまく継承している師匠だったと言えます。師匠の志ん朝師匠の影響も大きかったのでしょう。
志ん朝落語の次代を担う噺家さんだったと言えば反対される方はおられないことでしょうね。
橘 右朝の名で寄席文字の師匠でもありました。右近師匠のお弟子さんですね。
立川藤志楼(高田文夫氏)と日大落語研究会の同期だったそうです。
経歴たるや蒼々たるものです。
■ 1984年(昭和59年)3月
第18回 国立演芸場 花形若手演芸会新人賞 銀賞 「三方一両損」
■ 1985年(昭和60年)
第14回 NHK新人落語コンクール 最優秀賞 「片棒」
■ 1985年(昭和60年)
昭和60年度 第8回 にっかん飛切落語会 努力賞
■ 1986年(昭和61年)
昭和61年度 第9回 にっかん飛切落語会 若手落語家奨励賞
■ 1987年(昭和62年)9月
第32回 国立演芸場 花形若手演芸会新人賞 金賞 「片棒」
■ 1987年(昭和62年)
昭和62年度 第10回 にっかん飛切落語会 若手落語家奨励賞
■ 1990年(平成2年)12月
第45回 国立演芸場 花形演芸会 金賞 「二番煎じ」
■ 1992年(平成4年)1月
第12回 国立演芸場 花形演芸大賞 大賞
いかがでしょうか。実力は証明されております。
ネタの一端を紹介しますが、右朝師匠はおそらく古典落語は全ておやりになれたのではないかと推測します。
二百席以上のネタが記録にあるようです。
それほどに何をやっても洒脱にできたのではないかと思うのです。
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古今亭右朝 |
へっつい幽霊 |
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古今亭右朝 |
猫の皿 |
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古今亭右朝 |
三方一両損 |
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古今亭右朝 |
二番煎じ |
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古今亭右朝 |
浜野矩随 |
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古今亭右朝 |
三軒長屋 |
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古今亭右朝 |
権助提灯 |
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古今亭右朝 |
片棒 |
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古今亭右朝 |
お見立て |
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古今亭右朝 |
持参金 |
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古今亭右朝 |
芝居の喧嘩 |
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古今亭右朝 |
鼠穴 |
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古今亭右朝 |
お若、伊之助 |
右朝師匠のエピソードは色々有るようですが、まずは酒癖でしょうか。
「絡み酒」というタイプでしたようで。酔うと落語の話になるそうです。真面目だったのでしょうね。
それだけ落語に打ち込んでいたということでしょう。
先輩の噺家さんにも絡むというほどだったょうです。
小学校三年生の頃にはネタが十個もあったというくらいの才能です。
天才でしょうね。ネタ覚えの早さには定評があったようです。
談志師匠から「天災」を教わったときも、翌日には仕上げていたというくらいですよ。
音楽にも才能がありましてね、若い頃は弾き語りのアルバイトをしていたそうです。
ギターをはじめ多くの楽器をこなしたようです。
歌も上手でカラオケ仲間には川柳師匠や市馬師匠がいました。
「猫の皿」には哀しい思いがあります。
席亭が保管しているテープには「猫の皿」は2001.3.18放送と記録されております。
お亡くなりになる一ヶ月程前ですよ。
声は全くもって力を失っております。肺がんでしょう。声量がでないですよ。悲痛な録音になっております。
あの軽妙洒脱さは失われてしまいました。
病が憎いですよ。こんなにしてしまってねぇ。
今、流れております。聞きながら書いています。右朝・・・・・・右朝。
もう逢えないのですね。